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おいしい愛媛みかんの象徴「うわの赤箱」誕生秘話

旧宇和青果農協が育てたブランド伝えたい。これからも多くの人へ
宇和青果農業協同組合は、大正3年創立の宇和柑橘同業組合を前身とした、古い歴史をもつ柑橘専門農協です。その後昭和23年に農協法制定と同時に「宇和青果農業協同組合」として発足しました。その当時は、木箱や竹かごに入れてみかんを出荷していました。
その後、昭和34年試験的に温州みかんと夏柑のダンボール箱が実施され、これを境にダンボール箱の使用が急速に増えました。この時は、みかんのダンボールは総て茶箱でした。
そこで、昭和46年、宇和青果農業協同組合の銘柄である南柑20号をアピールするためには、ダンボールを化粧箱に、ということでデザインを業者に依頼しました。30万円かけてデザインしたダンボールで南柑20号を出荷しました。
「あの真っ赤なダンボールはなんじゃ」
「“うわ”はなんと思い切ったことをしたのー」
市場関係者はもとより産地の人々も唖然としました。
当初異様な目差しで見ていた真っ赤なダンボールが、市場内でも店頭でもよく目につき評判が良くなってきました。
「赤箱みかん」をさらにイメージアップするためテレビで宣伝しよう、ということになりました。 みかんの業界でテレビ宣伝は初めてである。費用もかかるが思い切ってやることにしました。
当時流行の落語家柳家小さんによって、昭和48年10月より放送をはじめ大きな反響を呼びました。
それ以来、「うわの赤箱」は、宇和青果赤箱ブランドとして定着していきました。しかし、手選果だったので、品質のバラツキはどうしようもなく、「赤箱ブランド」のイメージを高いまま維持していくことが困難になってきました。そこで、光センサー選果機を導入し、能力をフルに活用し、品質の統一を図るため、品質基準を見直し、年によって変えることなく固定化することによって市場の信頼を取り戻し、また、一級品のみ赤箱へ詰め区別することにより、赤箱のイメージアップを図り、赤箱ブランドの復活を目指しました。現在も更なる飛躍を目指し、日々努力をしています。
現在では、赤を基調にした様々な種類のダンボール箱を利用し、市場投入しています。
今後も「うわの赤箱」をよろしくお願い致します。

2009年4月1日をもって、宇和青果農協はJAえひめ南(えひめ南農業協同組合)と合併、組織統合されました。合併後も旧JA宇和青果が育てた、なじみ深い赤箱マル宇のみかん箱は、引き続き使用しています。